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白山神社

白山神社

平安時代に加賀の白山の僧兵が捨てていった神輿をまつった社。この神社にちなんで麩屋町通は白山通とも呼ばれる。

平家が全盛を誇った平安時代末期、加賀の国司・師高の弟師経が、古来霊峰として信仰された白山の末寺・鵜川寺に乱入、俗人を禁じている湯屋で湯を浴び、馬の足まで洗った。この狼藉に怒った寺側との間で戦となり、寺は一千の兵に攻められて焼き払われた。これに激怒した白山の僧兵は師経の館に押し寄せ、師経が都へ逃げ帰ったとわかると、今度は延暦寺に訴えるために神輿を立てて京へ上がった。
訴えを聞いた延暦寺の大衆は、師高、師経を罰するよう朝廷に訴えたが、裁きは下りない。業を煮やした衆徒はついに白山の神輿に十禅師権現と八王子の神輿を加えて御所へ強訴。御所の門を三千の兵で迎え撃つは平清盛の嫡男、重盛。衆徒はたちまち追い払われ、三基の神輿は路上に放り出された。
その神輿は地元民の手でまつられた。そのひとつが当社で、残りの二基は白山宮(麩屋町通姉小路下ル下白山町)と八坂神社に移されている。

また、これらの事件は平家物語の「鵜川合戦」「神輿振(みこしぶり)」が伝えている。当社の例祭は5月19日。古来、歯痛の神様として信仰がある。